おおうらメンタルクリニック院長の大浦です。
案の定、前回の投稿から1年かかりました。もはや阪神タイガースか開業〇周年しか話題がなく、辟易されている方もいらっしゃると思います。
このままでは貴重な読者を失いかねないため、この1年間は日夜新たなテーマを探し続けました。
なので今回のテーマは「なぜ私は魚が食べられるようになったのか」です。

皆さまが知りえた情報の中で五指に入るくらいにはどうでもいい事ですが、私は幼児期から「魚アレルギー」でした。2歳頃までは問題なく食していたそうですが、ある時期から蕁麻疹や気分不良が生じるようになりました。今では考えにくい事ですが、昭和から平成初期の小学校ではアレルギーに対する理解はほとんど浸透していませんでした。そこに「お残し厳禁」の文化も相まって、日々の給食メニューは1日の学校生活(午後)を占う上で極めて重要なファクターでした。冷蔵庫に貼ってあるメニューに「きびなごの南蛮漬け」「アジフライ」などを見つけた日などは、登校の道中ずっと「いかにして平等に配膳されるフィッシュを無効化するか・・」の策略を練ったものです。今であれば知恵も老け、配膳係への贈賄や懇願、担任への病状陳述など正当な手段を講じる事が出来るでしょう。しかし齢10歳前後の脳内にそのような思考は生じず、ひたすら稚拙かつ姑息な謀略をトライしては失敗や成功?を繰り返したものです。明らかにアンバランスなスプーン上の魚を意図的に落下させたり、自宅から拝借してきたビニール袋に神速で収納→道具箱に隠匿したりしていました。多くの場合、正義感溢れる同級生に密告されるか、机内から数か月後に変わり果てた姿のお魚が発見されるかして、悪事は露見したものです。
・・前置きが長くなりましたので、今回は前後編に分けさせて頂きます。後編はさすがに近日(当社比)公開されると予想されます。
ひとまず6年目もよろしくお願いします。
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